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エッセイ〜月刊「百味」にて連載中〜

美味しいコンサート [月刊百味 : 2007年9月号掲載]

昔から音楽家って結構食いしん坊が多いってこと、ご存知ですか?モーツアルトは目玉焼きにいつも6個も黄身を入れていたというし、ヘンデルは3人分をぺろりと平らげてしまうほどの大食い、ロッシーニにいたっては自ら作曲を中断し料理人になったほどでした。

修行したパリ ホテル・リッツのメイン・キッチンにて

「修行したパリ ホテル・リッツのメイン・キッチンにて」

そんな偉大な音楽家にならって・・・という訳ではありませんが、私もチェリストとしてパリで暮らしているうちにフランス料理の魅力にとり憑かれ、とうとう最後にはレストランのキッチンで包丁を握っていました。
 パリのど真ん中、ヴァンドーム広場にあるホテル・リッツ。数々の映画や歴史の舞台となってきたこの豪華なホテルの地下で私の料理修行は始まりました。優雅なホテルの地下は、パン工房にチョコレート部屋、花屋に貯蔵庫と複雑でまるで迷路のよう。チェロの勉強を続けながら同時に通った料理学校を卒業したばかりの私に待っていたのは、ほとんどが男性料理人のメイン・キッチン。すべてがピカピカに磨き上げられ、サービスの時間ともなるともの凄いスピードでお皿が出来上がっていきます。そこでは料理学校で習ったことなど、なんの役にも立ちそうにありませんでした。料理人は時間との闘いです。私に一つずつ教えているヒマはありません。キッチンに入って間もない頃は、あまりのスピードに何も出来ず、ただただ見ているだけでした。そんな環境の中で、共に働く私が外国人だから、女だから、チェリストだからという甘えは許されない、真剣に働かなくては得られるものは何もないと思い、しばらくはチェロを弾くことも言わず、休みもとらずもくもくと働きました。毎日働いていると、次第に周りも私を必要としてくれるようになり、彼らからは本当に沢山の事を教えてもらいました。 もちろん失敗も数え切れないほど。ある時、シェフからフランスでしか使わないような珍しい野菜を地下の貯蔵庫からとって来いと言われましたが、フランス語は似たような発音の単語が沢山あり、その時の私もすっかり勘違いしてしまい全然違うもの、それも魚を「なんでこんなに必要なのかな」と思いながら抱えて持って行き、シェフに叱られてしまったり。ホタテのお皿の準備をしている時、あまりに一度に注文が来てしまい、ホタテの焼く個数を間違えてみんなで大慌てで焼き直したり・・・慣れないうちは本当に大変でした。

 「音と食のコンサート」では、チェロの演奏の後に、自らが手がけたオードブルの数々を味わっていただく。この日は、シャンパン”ドン・ペリニョン”に合わせて。

「音と食のコンサート」では、チェロの演奏の後に、自らが手がけたオードブルの数々を味わっていただく。

そんな私のリッツでの料理修行最終日が近づいたある日、私がチェリストだと知っている料理人の一人が、みんなの思い出にチェロを弾いてほしいと言ってきました。もちろん断る理由はありません。サービスの終わったコック服のまま!チェロを弾くと、最後にシェフが私に言いました。「日本人の君がクラシック音楽とフランス料理をこんなに愛してくれていて本当にうれしいよ。おいしい料理にも美しい音楽にも国境はない。この二つが一緒に楽しめたらどんな人でも楽しくなれるよ、きっと」そういえば19世紀には、とある料理好きのピアノ製作者が鍵盤の下に加熱装置を取り付け、演奏しながら料理が出来る「ピアノ・オーブン」を考案したことがあったと聞いたことがあります。ピアノを弾きながら楽しくクッキングなんて、昔の人はすごい事を考えますよね。現実的にこんなことは無理ですが、シェフの言葉は私に新しい可能性を与えてくれました。

この日のデザートはプティ・フールいろいろ、フルーツいっぱい!

クラシック音楽とお料理。日本では、なんとなくお互いが遠い存在のようなイメージですよね。コンサートの合間にワインなどのお酒も飲んでもいいの?と聞かれることもしばしば。クラシック音楽はそもそもヨーロッパのキリスト教文化の歴史と共にあります。そのキリスト教の歴史浅い我々がいきなり同じ方法で音楽を楽しもうとしても、難しいのかもしれません。日本では長い、退屈、堅苦しいというイメージのあるクラシックがもっと身近に感じることは出来ないか、もしかしたらおいしい食べ物やお酒と一緒にならもっと楽しんでもらえるのかもしれないと「音と食のコンサート」を始めるきっかけとなりました。演奏者自らが作るお料理のあるコンサートってあまり聞かないと思いませんか?このコンサートでは途中のちょっとヒマな休憩時間に、私の作るオードブルとワインを楽しんで頂いています。終演後にはお客様と直接楽しいお話が出来る、そんな時間をとても大切にしています。

 音楽と料理はとても似ている近い存在だと思います。たとえ話す言葉が違っても、人にはみんな音楽を感じる心とおいしさを感じる舌があるのですからね。